10月16日の伊勢神宮

五十鈴川の清流

川曳きです。

内宮の鳥居。
横からの写真は珍しいかと思い

二の鳥居と火除け橋
明治までは、ここからが境内。
それで、皇族はここまで車で進まれる。

正殿前の賑わい
10月16日の伊勢神宮

五十鈴川の清流

川曳きです。

内宮の鳥居。
横からの写真は珍しいかと思い

二の鳥居と火除け橋
明治までは、ここからが境内。
それで、皇族はここまで車で進まれる。

正殿前の賑わい
賀茂御祖神社(下鴨神社 京都市左京区下鴨泉川町)

『山城風土記』
「賀茂建角身(かもたけつぬみ)命の娘の玉依姫が川遊びをしていたところ、丹塗矢が流れてきた。それを持ち帰ったところ、妊娠して男の子(別雷)を生んだ。」

松尾大社(京都市西京区嵐山宮町)社家の秦氏の『秦氏本系帳』
「秦氏の女子が、桂川で洗濯をしていると、上流から一本の矢が流れてきた。その矢を持ち帰り、戸の上に置いておいたところ、夫も居ないのに妊娠し、子(雷公)を生んだ。」
「その子は鴨上社の別雷神。鴨下社を御祖社と号す。戸の上の矢は松尾大明神」

鴨氏は秦氏の婿となり、秦氏は鴨氏に鴨祭を譲った、という。

『秦氏本系帳』
「松尾大社は、築紫胸形の中部大神なり。」
『宗形大菩薩御縁起』
「人皇第七代 孝霊天皇 四年に出雲国斐川上から築紫の宗像に御遷行」

以上を総合すると、松尾神は宗像神であり、宗像神は出雲の神であった。
そして、松尾神は賀茂神でもあるので、山城一の宮上賀茂神社・下鴨神社は出雲神を祀っていることになる。
宗像大社(福岡県宗像市)の社家宗形君は、三輪氏の大田田根子の叔父を始祖とする。

『播磨風土記』
「道主日女命、父無くして子を生みたまひき。名を天目一(あめのまひとつ)命という。」
「御蔭大神は出雲神」
彌加宜(みかげ)神社(京都府舞鶴市)社伝
「天御影神は天目一箇(あめのまひとつ)神」
御蔭神社(京都市左京区上高野東山)
鴨大神の降臨したところ。
葵祭はここから始まる。
賀茂御祖(下鴨)神社の社前の通りは御蔭通り。
鎮座する地は旧出雲郷。
下鴨神社(賀茂御祖神社 京都市左京区下鴨泉川町)

山代一の宮 賀茂御祖(かも・みおや)神社
通称下鴨神社
全国にある1186社の賀茂神社の総本社

「下鴨」と呼ばれるようになったのは、中世から。
京都は北を上(かみ)、南を(しも)と呼ぶ。
鴨川上流の上賀茂(賀茂別雷)神社に対して、下鴨神社という。

ここは糺(ただ)すの森(3万6千坪)と呼ばれている。

神殿ではなく山門
憂き世をば 今ぞ別るる とどまらむ 名をば糺の 神にまかせて (源氏物語)
いかにして いかに知らまし 偽りを 空に糺の神 なかりせば (枕草子)

祭神は賀茂建角身(かもたけつぬみ)と、その娘の玉依姫

拝殿
神社の後方(北北東)は(下鴨西・東)高木町。
ここは旧出雲郷。
天孫高木一族の地に、出雲神を祀った。
わら天神宮(敷地神社 京都市北区衣笠天神森町)

平野神社から400m北にあります。

正式な社名は敷地神社。
延喜式の式内社です。

天神宮というので、祭神は北野天満宮と同じく菅原道真かと思いましたが

祭神は木花開耶(このはなさくや)姫でした。
ニニギ尊の后で、ホホデミ(火明命)の母親です。

衣笠村に降臨した神のようです。
この「衣笠」を覚えておいてください。
加賀二の宮の菅生石部神社(祭神ホホデミ)を勧請し、ホホデミの母親木花開耶姫を祭神とした、とありますが、勧請するときに祭神をその母親にするというのは聞いたこともありません。
北野天満宮摂社に外宮度会氏の祖が祀られていました。
菅生石部神社の在る加賀は、その度会氏が遠征した所です。
度会氏の旧姓は磯部氏と言い、遠征先の越国、および外宮の故郷の丹波国に、石部(いそべ)神社が数社あります。
したがって、石部神社は度会氏によって建てられた神社です。
元外宮の佐那神社(三重県多気町)の祭神は、和邇氏系の皇子ですが、その和邇氏が駿河一の宮浅間神社に祀っているのが木花咲久夜(木花開耶)姫です。
佐那神社の南に浅間山(大台町栃原)があり、伊勢神宮内宮の東にも朝熊(あさま)山があります。
これは和邇氏の浅間信仰の影響です。
伊勢神宮内宮には天照大神と相殿に手力男が祀られています。
佐那神社の主祭神です。
外宮の故郷の丹波にも衣笠山(兵庫県篠山市佐貫谷)があります。
その東にあるのが、手力男を祀る櫛石窓神社(名神大社 篠山市福井)。
少し南の草ノ上に村雲の地名がありますが、天村雲は度会氏の祖です。
この衣笠山が在るのは佐貫(さぬき)谷ですが、四国の讃岐(さぬき)国との境近くの阿波国に、天村雲神社・天石門別神社(二社)があります。
福井(若狭)一の宮の祭神はホホデミです。
このように各地の大社は、地名や神名で幾重にも結びついています。
これは出雲教が神の名を変えて広めるときに、無作為ではなく、何らかの手がかりを元に名を創ったからです。
平野神社(京都市右京区平野宮本町)

門の向こうに拝殿が見えます。

由緒書き
祭神は今木皇大神・久度大神・古開大神・比賣大神の四柱。
比賣大神は宇佐・枚岡・春日などに祀られていますが、今木・久度・古開は聞いたことがありません。

拝殿
先ほど居た人も居なくなったので、境内に私一人です。

神殿も立派です。
四神を祀ると言えば、思い浮かぶのは、春日大社(奈良市)と外宮(伊勢市)です。

屋根の上の千木の切り口は水平ですので、内宮と同じく天神のようです。
外宮は垂直で地神です。

平安遷都に伴って、奈良の平城京からこの地に遷された神社で、平安時代中期には、伊勢・賀茂(上賀茂・下鴨)・石清水・松尾に次ぐ名社に数えられた。
今木皇大神は、桓武天皇の母の高野新笠(720ー790)が田村後宮に祀っていた百済の神であると言われています。
久度・古開大神は、大和川沿いに在る久度神社(奈良県葛城郡王寺町久度)から勧請されたものです。
比賣大神は春日と同じように、最期に祀られています。

西大路通りに出ました。
神殿の向きから、こちらは裏口のようです。
北野天満宮の横を流れていた川(天神川)は、金閣寺の裏山の鷹峯に源を発し、桂離宮の所で桂川に合流しています。
北野天満宮(京都市上京区馬喰町)から平野神社へ(右京区平野宮本町)へ

文子天満宮の左手奥に門が見えます。

門を出て外から撮った写真です。
裏門にしては立派です。

門を出て、すぐ左手に平野神社が見えます。
わずかに100m余り。

この地図は南北が逆になっています。下が北です。
真ん中左の赤い四角が現在地。
上の北野天満宮から、右の平野神社(名神大社)に行くところです。

平野皇大神と書いてあります。

北野天満宮の賑わいとは対照的に、2~3人の参拝客が居るだけでした。
北野天満宮(京都市上京区馬喰町)
祭神は菅原道真

横から見た方が立派
神社と言うよりも宮

裏の長屋のような社にも、そうそうたる神様に並んで外宮度会氏の祖の白太夫(渡会春彦)が祀られている。
よほど天満宮には大事な人物なのだろう。

真裏にも何やら祀られている。

光が反射して見難いが、「御后(ごこうが)三柱」とある。「后(こうが)」は先祖という意味のようである。
天穂日命は天照大神の次男。
出雲臣の祖と言われているが、実際は穂日命ではなく出雲神の建比良鳥が始祖。

奥の北東の角にある文子(あやこ)天満宮

亡くなった菅原道真が、巫女の丹治比文子(たぢひ・あやこ)に、自分を祀れと告げたのが、北野天満宮の始まり。
数学に「オイラーの公式」というのがある。
指数関数が虚数を通じて三角関数と出会う。
初めて知った時は感動した。
そこで古代史の「オイラの公式」w
和邇(わに)氏が、外宮の度会(わたらい)氏を通じて和邇氏に戻る。
「以下証明」
北野天満宮の祭神菅原道真は、父親が外宮に祈願して生まれた。
摂社の白太夫社に、外宮神官の祖の渡会春彦が祀られている。
太宰府天満宮の摂社にも度会氏の祖の大若子(おおわくご)が祀られている。
これらから、天満信仰は度会氏が広めた。
北野天満宮の摂社火之御子社に火雷神が祀られている。
火雷は普通は「ほのいかづち」と読むが、ここでは「からい神」と言う。
火雷の別名は別雷(わけいかづち)命で、山代一の宮上賀茂神社の祭神。
その元は松尾大社。さらにその元は宗像神。(秦氏本系帳)
宗像神は出雲神(宗像大菩薩縁起)
宗像氏の始祖の阿田賀多須(あたかたす)は、三輪氏の大田田根子の叔父で、出雲の氏族。
出雲神のイソタケルは韓(から)神。
それならば火雷(から・い)神とは韓(から)神。イソタケルのこと。
松尾大社を祀る秦氏は、伏見稲荷社でウカノミタマを祀る。
ウカノミタマとは外宮の豊受大神の別名で、出雲神スサノオの子。
和邇氏の本拠地は天理市と大津市。
天理市にあるのは石上(いそ・の・かみ)神宮。
外宮度会氏の旧姓は磯部(いそ・べ)氏。
「いそ」はイソタケルの「イソ」。
大津市の後背は比良山系。
出雲臣の始祖は建+比良+鳥=建比良鳥。
北野天満宮の菅原道真は、出雲臣の出自。
比良は「片」とも書く。
尾張の片山神社祭神は、和邇氏始祖の阿田賀多須。
和邇氏系の皇子曙立王(あけたつのみこ)は、弟と出雲へ行き、出雲大社を建てた。
曙立王は佐那神社(三重県多気町)に祀られている。
佐那神社は多気大神宮と呼ばれた元外宮。
証明終わり。
北野天満宮(京都市上京区馬喰町)
火之御子社

山門から中門へ到る途中にある。
まず火之御子(ひのみこ)社の社名が興味深い。
加賀一の宮の白山比咩神社(石川県白山市三宮町)の近くに日御子町に日御子神社が在る。
祭神はホホデミ。別名は火明(ホアカリ)で出雲神大国主の子(播磨風土記)
土佐二の宮大川美良布神社(高知県香美市香北町韮生野)の祭神は、三輪氏の始祖大田田根子。
この神社の物部川対岸に日ノ御子の地名がある。
北野天満宮摂社:火之御子社

火之御子社の祭神は火雷神。
普通はこれを「ホノイカヅチ神」と読むが、ここでは「カライ神」
火雷は別名を別雷(ワケイカヅチ)と言い、山代一の宮上賀茂神社の祭神。
母親は下鴨神社祭神の玉依姫。
下鴨神社の前は御蔭通り。元社は八瀬の御蔭神社。祭神は玉依姫とその父の賀茂建角身(カモタケツヌミ)。御蔭大神。
御蔭大神は出雲神(播磨風土記)
賀茂神社の祭祀の前身は松尾大社。
松尾大神は宗像の神。宗形氏は三輪氏の同族。
したがって火雷=別雷は出雲神。
ところが出雲国には韓国伊太氏(からくに・いたて)神社が数社在りイソタケルを祀る。
イソタケルは朝鮮半島から来たので韓(カラ)神。
この韓(カラ)神に「イ」が付いて、カライ神となったのが火雷神ではないだろうか。
日御子神社の側の白山比咩神社祭神は菊理姫と書いて「クク・リ姫」
一字違いで久久遅(クク・チ)という木神がいる。
近くの能登二の宮天日陰比咩神社に祀られている。
菊理(ククチ)=久久遅(ククリ)の木神ならば、イソタケルも木神。
菊理姫=イソタケルが考えられる。
by 無才
神嘗祭(伊勢大祭り)